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| 2011年9月30日(金) |
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8月29日の診察で聞いた余命・・・その言葉に反射するように決断した退職・・・そして1カ月が過ぎて、昨日、退職が成立した。
今日から仕事には行かない。
それだけでも、身体の重さが違う様に感じられる。
この道を選択して良かったんだなと改めて思った。
退職というのは面白いものだと知った。
会社には勝手に勤められないというのは、理解している。
入社試験や面接等を経て、会社に採用されないと勤務出来ない。
けれど、辞める時には自由だろうと思っていた。
でも、実際はそうではないのだという。
会社が認めなければ、勝手に辞めることが出来ないらしい。
事情から、絶対に辞めさせて欲しかったので、ちょっと焦った。
退職の準備は粛々と進んでいたけれど、最終的に社長が私の退職を決裁したのは昨日だった。
突然の決断に、様々な反応があった。
一番近い職場の仲間は、私の体調不良や治療を知っているが、それ以外の方々は何も知らない。
いや、正確に言えば、腎臓がんで余命が無いことは、会社ではたった一人、人事部の健康管理室の担当者しか知らないのだ。
「そこまで(辞めなくてはならない程)体調が悪かったのですか?」
「第二の人生に踏み切れるなんて、勇気があって羨ましい限りです」
「あなたは多才だから、どんな面白い仕事を見つけたの?」
自分の都合で勝手に辞めるので、送別会の類は予め辞退させて戴いた。
最終日の終礼の挨拶では、「半年間は健康回復のため治療に専念し、来春にはまた元気になりたい」と話した。
餞別として寸志を下さる方、励ましのお手紙やメールを下さる方、また、人事と総務の女性たちからはお花を戴いた。
本当に有り難いこと。
ふと言葉に出した「来春にはまた元気になりたい」という気持ちが、今日からの自分を支えて行くんだな・・・と思った。
本当に、元気になりたいものである。
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作成者
遼
: 2011年9月30日(金) 13:46
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: 4]
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| 2011年9月23日(金) |
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10回目の放射線治療が終わった。
食道にも照射される為、嚥下の際にきつい違和感がある。
それでも、痛みどめを服用しているから、違和感は軽い方らしい。
CRP高値とアルブミン低値を改善するべく、食事療法と漢方薬を試してみようと思い立つ。
食事療法は「今あるガンが消えていく食事」という書籍を参考に、野菜と果物のジュースを中心にした食事に挑戦。
四足の肉類を禁忌とし、禁酒・禁煙(もともと喫煙しない)、レモン2個とスプーン2杯のはちみつを毎日摂り、整腸剤を飲む。
進行がんの末期には、もうこの食事療法しかないとの書き方である。
ジューサーを通販で購入し、レモンや蜂蜜を買い込んで早速スタートした。
漢方薬については、抗炎症作用やNF-kBの活性阻害をもった生薬を使用することによって、炎症性サイトカインの産生を抑える効果があると聞き、そのような効果をもつ「清熱解毒薬」について、最寄の漢方薬を扱う薬局に出向いて、3種を購入してきた。
漢方薬は意外と値が張るのには驚いた。
3点を各1か月分で3万円近く掛った。
ところが、食事療法と漢方薬を一緒にスタートしたら、手指と足が夜中に強烈に痙攣を起こして非常に辛い目に遭った。
21日の外来で血液検査のデータを見たら、血清カリウムの値が基準値を超えていた。
高カリウム血漿になってしまったらしい。
足の痙攣はネクサバールの副作用でも出るが、過去の経験から手指までは及ばないので、やはりカリウムの所為だと考える。
自分で能動的に出来る治療を見つけた思いで、かなり張り切ってスタートしたのだけど、思い切り出鼻を挫かれた。
あー・・・、元気がなくなった。
移植腎である自分には、負荷が大きかったのだ。
移植腎を維持する為に免疫抑制剤を服用しているのだから、免疫力が重要なガンとの闘いは非常に狭い範囲での折り合いが必要に思える。
それでも、腎臓がんにも効く内容だけをピックアップして、良いことだけでも実践できないか?と、一晩じっくり考えなおして、カリウムの少ない人参、レモン、ハチミツについては再開することにした。
漢方薬3点は一旦保留として、新たに病院で処方してもらった「補中益気湯」のみ試してみることに。
食事療法も、消化器系のガンに有効とあるが、腎ガンについては良いも悪いも明記がない。
もしも悪い面があるのなら、それこそしっかり書いて欲しいものだ・・・そうでないと危険である。
ジュースばかり飲んでいては元気の「気」が身体に入らないと感じ、四足の肉類は控えるものの、玄米を炊き、極力減塩の中で食べられるものを口に入れることにした。
まずは、減り続ける体重を一旦安定させたい。
放射線科の医師は「嚥下の違和感は1週間〜10日間程で消えます」「放射線治療の効果は、治療終了の今日から1カ月くらいをかけて徐々に現れてきます」と言った。
なんだ、そうか。
放射線治療の効果はこれからなのか。
少し明るい気持ちが戻ってきた。
心の中で暗い夜を迎え、それでもまた新しい自分に生まれ変われる朝が来る。
何度でも、何度でも、生まれ変わって今日1日を生きる。
今は、そんな気持ちになりつつある
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作成者
遼
: 2011年9月23日(金) 05:29
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: 4]
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| 2011年9月11日(日) |
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震災と原発事故で日本が打ちのめされた3.11からから半年、そして、世界を震撼させる大規模テロ事件が発生した9.11から10年が過ぎ、メディアはこぞって取り上げている。
符合する○.11という日付、そして10年という区切りの時間。
2つの出来ごとについて、不思議な関連性があると唱える向きもあるようだ。
2001年9月11日。
米国で起こった、民間航空機のハイジャックによる同時多発テロ。
あの事件以降、米国はテロ組織壊滅を唱え、「正義」の御旗を掲げて戦争に突入していった。
そして迎えた10年目、テロ組織の首謀者と言われた男が捕えられ、処刑されたと報じられた。
米国大統領は「正義は実行された」と演説し、この戦争の終息を宣言した。
しかし、「テロリストは世界的テロ組織の実現には失敗したが、米国を衰退させた点で成功したと言える」との論調もあった。
9.11からの10年間、米国の経済は行き詰まり、世界に対する軍事的影響力も弱まった。
強い米国を中心とした時代は既に終わりを告げようとしているかのようだ。
そして米国の9.11から10年目の今年に起きた日本の3.11。
日本人は広島、長崎以来66年ぶりに「被曝者」を大量に出した。
経済も軍事外交も米国に寄り添ってきた日本は、この10年で衰退した米国に倣う様に、この先10年間も茨の道を歩むのだろう。
復興、再生との掛け声はあるが、既に誰もが「元の通りには戻れない」ことを、心のどこかで知っている。
東北は、日本は、米国は、そして世界はもう、もと通りには戻れないのだ。
かくして世界経済の中心は中国に移行した。
しかし、米国も日本も衰退していくこの先、中国の経済もやがて行き詰まるに違いない。
歴史がそれを教えている。
「中国には人民をコントロールする強力な国家権力があるから、日本のバブル崩壊のようにはならない」という人も居るが、現体制への批判が高まる中、それも危うい。
中国の経済が行き詰まる日こそ、経済のグローバリゼーションが終焉を迎える日・・・ということになるのではないか?
その日が来れば、世界は再び小さく閉じて行くだろう。
地域社会のなかで完結する、小さな世界を再構築するようになるだろう。
欧州のように、小さな国々に展開するのではないか?
日本のような小国でさえ、既に政治が国民を導くことが出来ずにいる。
大国であるロシア,米国もしかり、現体制が打倒されたなら中国でもしかりだろう。
では、その日はいつ来るのか?
符合の好きな人々が考えるのならば、今から10年後の2021年○月11日か?
資源のない地域は、資源のある地域に組み入れて欲しいと請い、叶わない場合には資源を巡り世界的な争いになるだろう。
日本には石油やガスの類の天然資源がほとんどないので、その意味では攻め込まれる懸念は少ない。
しかし、日本には「水」という資源がある。
大切な水源を必死で守ることで、日本の未来が拓けるのかも知れない。
日本は石油等に頼らない新エネルギーを開発し、石化資源争奪戦争への加担(巻き込まれ)を回避する必要がある。
食料自給率を倍増させ(80%超へ)、農林漁業国に転換するべき時がくるのではなかろうか?
水資源を守り、食料を自給し、工業力は再生可能な新エネルギーへと特化する。
この先10年後、人口の減っていく日本は小さな世界を取り戻し、半鎖国状態で、「水」と「新エネルギー技術」を国の資源として、友好国とのみ国交を行うような、小さな賢い国になりはしないか?・・・それこそが、我々の目指すべき新たな道ではないのだろうか?
そんなことを、ずっと考え続けた一日になった。
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作成者
遼
: 2011年9月11日(日) 22:10
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| 2011年9月7日(水) |
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勤務先で9月末でのリタイアをカミングアウトした日の帰りのこと、車のハンドルを握って家路を急いでいた。
中軽井沢の町が見えた頃、カーラジオから懐かしい曲が流れてきた。
Let it be ・・・
ズドーンと心の中に飛び込んできて、フロントガラスの景色が歪んだ。
中学校の卒業文集に、Let it be の言葉を書いている。
あの頃、ビートルズを熱心に聴いていたものだ。
When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be
当時のアルバムに添えられた訳詞には、
苦しみ悩んでいる時には
聖母マリアが現れて
貴い言葉をかけてくださる
“すべてなすがままに”
と書かれている。
Let it be の意味については諸説ある。
ただ心に留まるのは、新約聖書ルカの福音書 第1章38節にある、
“let it be to me according to your word”
「あなたのお言葉どおり、この身になりますように」
という聖母マリアの言葉が語源ではないかという説である。
これは、処女であるマリアに男児を授けるという天の思し召しに対して、マリアが述べた言葉であるという。
自分なりに解釈すれば「すべては天のなされるがままに」である。
つまりは「運命に委ねなさい」という意味ではないだろうか?
大きな決心をしたが、不安は常にある。
それでもリタイアに向けた事務的な手続きは、カミングアウトに呼応して反射的に、機械的に起動されていく。
ここでもまた、向かってくる時間の波に飲み込まれそうになる。
揺れ動く心で居る自分の前に、中学生の頃に親しんだこの曲の歌詞が忽然と現れて、私を抱擁し、魂を肯定してくれたように思えて、心が打たれた。
“すべてなすがままに”
中学生の頃の自分が、弱り切った私の近くに来て囁いてくれた気がした。
“決断したからには、運命に委ねて良いんだよ”
“それで大丈夫だよ”
最後まで自分らしく歩くんだと心に決めながら、涙が止まらなくなってしまった。
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作成者
遼
: 2011年9月7日(水) 01:02
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| 2011年9月6日(火) |
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放射線治療の為の検査、MRI(久々・人生二度目)と、骨シンチ(同じく)を立て続けに受けて、主治医と面談した。
私の主治医は腫瘍内科の医師であるが、総合病院内ではこの腫瘍内科の表看板は無く、胃腸科のブースで診療が行われている。
放射線治療科の医師は「胸骨、背骨、そして肺(気管支)の部分が痛みと咳の原因になっている様子であり、この3点が一直線上に並んで存在している為、同時に放射線治療ができますね」と言った。
しかし、MRIの画像をみた主治医は「肺の治療は今回、放射線では出来ないはず。あくまで骨転移巣を叩いて痛みを緩和する治療と考えて欲しい」との見解だった。
骨シンチ検査の結果、主治医が心配した程の広範囲な骨転移は映っておらず、この点で主治医の表情は明るかった。
ネクサバールにより、副腎と肝臓の転移巣は進行が止まっている。
従って、先週から朝2錠+夜1錠でネクサバールを服用している。
肺転移巣だけがネクサバールでは抑えられないのだ。
では、どうするのか・・・?
肺には別の分子標的治療薬を投ずる必要があると主治医は言う。
でも、その為には現在の咳と痛みで落ちた体力を回復させる必要があって、まずは放射線治療をしっかり受けて欲しいとの話である。
放射線治療は、放射線照射の時間自体は1日1回5分程度と短く、それを10日間連続して行う計画となった。
10日間には土日は含まれないとのことで、結局治療終了まで述べ日数で2週間を要する。
この間、勤務先は半日の休業を余儀なくされる。
先週末、勤務先の上司と人事に辞表を提出し、9月末を以ってリタイヤすることにした。
余命○年のその先に進んで行くには必要な選択であると家族も理解してくれた。
新卒で入社以来、30年目の勤続を迎えている勤務先であるが、この10年間(腎臓移植を受けてから)というもの、当方の体調を懸念する人事部の配慮もあってなのだが、自分のやりたいと思うような仕事を担当出来ず、どちらかといえば閑職を受け持ってきた。
体調優先で勤務させてもらうには大変ありがたい職場であったのだが、反面、仕事での充実感はそれ以前とは比較出来ないほどに得られ難くなり、頭では理解しているものの、拭いきれない違和感の中で過ごしてきた。
この状況で10年間勤務してきて、この先55歳までもう5年、仕事の環境としては良くなる見通しもない中、鬱鬱たる気分で過ごすのか・・・と考えて続けて居たところであり、今回の余命○年との主治医の言葉が、自分がここから抜け出すきっかけをくれたことは間違いなかった。
骨シンチの薬剤注射の後、薬が全身に回り、撮影可能になるまでの間3時間の待ち時間があったので、気分転換に家内とドライブをした。
何気なく緑の中へと車を走らせて行くと、病院から1時間程の山の中に、美術館と日帰り温泉のある施設があった。
施設の駐車場には「手足湯」があって、自由に利用できた。
ズボンをたくしあげて、両足を湯に浸けて、その正面には台風12号通過後の雨上がりの日差しを受け、見事な姿を見せる八ヶ岳が望めた。
転進といえば、旧軍が退却を言い換えて使う言葉であって余りイメージが良くないが、自分の人生も、軽くない病を得て転進を余儀なくされたのだ。
しかし、歴史に照らして思えば、旧軍のそれは無駄死にせずに生き残る為の、メンツや拘りを捨てた勇気ある選択であったとも思える。
転進とは、生きる為に前に進んでいくことなのだと、八ヶ岳に胸を張りながら、自分に言い聞かせた。
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作成者
遼
: 2011年9月7日(水) 01:07
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